発達障害に思うこと

長崎で行われたGID学会の詳細抄録締め切りは5月末。私は、2月に論文として出したので、締め切りは関係なし。

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発達障害的な部分は、アスペルガー症候群として書いているのだが、よく考えてみると、高機能群というのは、私の交流範囲での話。1980年代後半のパソコン通信から現在のインターネットまで、基本的にパソコンが使える人なわけだから、当然高機能群に該当する。

実際には、雑誌の文通欄や懐かしの伝言ダイヤル、発展場やゲイバーに、ネットを使わない人がいる。ぶっちゃけ、社会勉強wとして、一通り知っているわけだが・・・(^^; 全体を見回してみると、高機能とは言えない人も多いなぁ、と。

幼児性を感じる人が多い。母親の足もとにまとわりつく幼児のような目。一般論でいえば、「かわいい」雰囲気かもしれない。しかし、私にとっては、トラウマである。反射的に逃げたくなる。

5歳ほど年下の従兄弟がいるのだが、境界性P.D.の叔母の子育てが乱暴だった。言うことをきかないと「こっちへ来なさい!」といって、腕を思いっきり引っ張り、肩を脱臼させることも日常茶飯事。投げ飛ばしたり、玄関から突き落としたり。。。幼稚園の入園前に、自分の名前(ひらがな)が書けなくて、教えるのに苦労していた。そして、すごい付きまといがあった。トイレの中まで、私に付いてくるのだ。その「目」が忘れられない。同じ目をした人に会うと、一瞬でわかる。

祖父母と同居している本家の第一子として、様々な人間模様を見てきた。自分が不快な思いをすれば、その相手を反面教師として、自分が同じことをしないように学習する。それが、パーソナリティの偏りを修正する仕組みである。今のままで、少子化と核家族化、プライバシー重視の流れがすすめば、日本沈没かもしれない。

乱暴な子育てをしてきた叔母も、外の人間から見れば、教育熱心で、子ども思いの優しい母親に見えるのだろう。しかし、見る人が見れば、境界性or自己愛性のタイプは、一目でわかる。境界性or強迫性のタイプも、独特の雰囲気がある。

○○才になったら、自分の顔に責任を持て、なんて言われる。人格って、顔に表れるなあ、とつくづく思う。それが理解できる年齢になってしまったことは、ちょっと悲しい。精神的に大人になれたんだと喜ぶべきか?ちょっと微妙w