12人兄弟、末っ子の悲劇

母方の祖母は、12人兄弟の末っ子だった。祖母の姉が近所に住んでいたこともあり、私も交流があった。女性なのだが、一人称が『俺』w 『俺が死んだら、ムシロに包んで捨ててくれればいい』というくらい、親離れ、子離れのできたサバサバした、よくできた人だった。

自分は、習い事もさせてもらえなかったし、何も買ってもらえなかった。それに引き替え、末っ子の妹(私の祖母)は、習い事も色々させてもらい、色々な物を買い与えてもらって、差別がひどかったという恨み節もよく聞いた。

ここが、運命の分かれ道。末っ子の祖母は、親離れができず、わがまま放題に育ってしまったのだ。

白羊と黒羊の交配でパンダ羊

Sabine LowerによるPixabayからの画像

祖母の姉は、一人称が『俺』で、FtM的な要素があるということは、母親嫌悪があったのかもしれない。しかし、兄弟が多いので、母親の養育の影響が薄まったと考えられる。

祖父に聞いたところでは、結婚当初は、わがままでどうしようもない人だったそうだ。その祖父は、依存の強いしがみつき型w 腕のいい職人だった。職人的な専門技能職には、向いていたわけだ。というわけで、母方の祖父母は、典型的なボーダーラインカップルである。

父方の祖父母は、境界性と自己愛性と強迫性と依存性が入り交じったステキな性格だったw 二人とも、農村部の出身であった。ボーダーラインのルーツは、都会の富裕層と農村部。食うに困らない環境がある。

叔父、叔母、全員がパーソナリティ障害に該当する。従兄弟の育てられ方を見てきて言えること。性同一性障害、同性愛、発達障害、パーソナリティ障害は、一体の発生源である。オキャマにオナベに発達障害、実にバラエティに富んだ親類たちがいる。まあ、発達障害は、生まれつきの場合もあるのだろう。しかし、大部分が生まれつきと思われてきた部分に、医療従事者が実際の養育環境を把握していない現実があると思う。DV親も依存親も、家の中と外で、顔を使い分けるのだ。

遺伝とすれば、私など、重症のパーソナリティ障害とアスペルガー障害になっていても不思議はない。両親と同居の祖父母、激しく偏った性格同士がぶつかり合って、うまくバランスがとれたのだと思う。

論理思考というか、ビジネス的な言い方をすると『ソリューション』は得意分野だけれど、感性に訴えるような表現力を要求される分野は苦手。苦手な部分を補えるように心がけて、バランスを取っていこう。