おでん3回目

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雷で起こされたり、ニューヨークからの中継を見ていたりで睡眠不足だった。10時間くらい爆睡して気分爽快。

今秋3回目のおでんを煮た。みそおでんが2回続いたので、今回は関東煮で。名古屋の標準は味噌煮なので、だし汁で煮るおでんは関東煮と言う。(古い人のみかも(^^;) やはり物足りないので、献立いろいろ味噌をかけて食べた。幼少時に、駄菓子屋にお好み焼きとおでんがあった。水煮状態のおでんを味噌だれに漬けて食べるのだが、赤味噌で作った独特の味の味噌だれが美味しかった。家庭では再現できない味だった。その理由は、サッカリン。。。砂糖の高かった時代、駄菓子屋レベルでは、砂糖を使わなかったのだ。

地域社会のあり方を考えると、駄菓子屋が普通にあった時代まで戻すくらいの意気込みが必要だろう。少子化、核家族化、プライバシー重視の傾向。養育の偏りに直結している。子どもの身の回りの世話は、基本的に親がするのだが、より多くの大人と触れ合える機会、自然に触れることが出来る機会が必要だろう。私の場合は、母方が建築関係の職人、父方が繊維関係の小売業であった。色々な人の出入りがあり、色々な性格の人がいることを学ぶことが出来た。人を見る目が養われ、自分自身を見つめることが出来て、自然に性格の偏りが修正される。

祖父母が健在なうちは、精神的に良好な環境だった。祖父母が亡くなると暗黒の時代が始まった。母親の行動に抑制をかける存在だった舅がいなくなり、自分の親という依存の対象を失った母親が、子どもを依存の対象にしてしまったのだ。時代の流れとともに、商売が暇になって時間に余裕が出来たことも重なった。過干渉により重苦しい日々が続く。強烈な共依存トラップを掛けられ続け、曖昧だった性自認が女性側に寄ってしまう。経済的に独立して、親と別居することによって、重苦しい日々から、ある程度解放された。次に依存の対象にしたのが、宗教である。憲法で保障された信教の自由があるので、自分で勝手にやっている分には、別に構わないが、周囲を巻き込んでくるのは、煩わしいことこの上ない。そういう経緯から、私は、宗教は嫌いだ。

祖父母と同居という環境が与えられたから、私は今生きている。両親だけの核家族だったら生きてはいなかっただろう。