日本列島改造論
1972年6月11日 日本列島改造論発売。価格検索すると、日焼けした古本が4~5千円はする。何だかなあ。さすが、土建屋のオヤジとは思うけど。
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Mikele DesignerによるPixabayからの画像
グローバル化の進行した現在、「日本」と言う視点で考えていたら、何一つ問題解決しない。永田町の足の引っ張り合いしかり、マスコミの報道しかり。「日本人へ リーダー篇」で指摘されていたけれど。
蒟蒻については、芋の生産から、付加価値の高い新しい加工技術の開発へ軸足を移さなければ、生き残りは出来まい。
蒟蒻麺については、2010年5月1日,2011年2月6日、に書いている。
マンナンヒカリについては、2010年7月4日,2010年7月25日,2010年10月1日,2011年2月3日、で触れている。
糸蒟蒻の改良品という感覚の蒟蒻麺では、水に浸した状態で流通するから、重くてコスト高になる。乾麺なり冷凍麺に出来るような技術開発が必要だろう。マンナンヒカリについても、価格が高いのだ。メタボ対策とか、大腸がん予防とか、需要はいくらでもあるはずなのだが、価格が足を引っ張っている。
農家というのは自営業であり、経営者なのだ。その自覚があるのだろうか。農協が経営者不在の労働組合と化している。集団化も効率化もない、コルホーズ、ソフホーズって、存在価値がないではないか。
諸行無常。世の流れは、一時としてとどまってはくれない。いつまでも同じことを続けていれば、朽ちて滅びるのが世の常なのである。
6月11日は、亀さんの辞任した日でもある。ゆうパックについて、2010年7月3日、2010年7月4日、で書いているけれども、非効率の大きな原因の一つは、与信と回収のノウハウがないことだ。ヤマトにしても、佐川にしても、中小零細企業相手でも、基本的に掛け売りである。集荷のたびに代金回収していたら手間がかかりすぎる。サイズや重量に規定はあるのだが、現場では、サイズは目測、重量は持った感じで判断。秤と巻き尺を持ち込んで集荷する郵便局は、まさに杓子定規。ヤマトや佐川なら1分で済む集荷が、郵便局だと20分。赤字で当然だろう。
保険業務も、生協や農協と重複する分野。福祉サービスも兼ねて、生協の宅配やネットスーパーの足回りとして郵便局(ヤマト運輸でも桶)を使うくらいの発想の転換は必要だろう。物流というのは、双方向が原則であり、配達したら集荷もするべき。他地区で生産された物品を買ったら、当地区で生産された物品を売る。売れる商品を各地域で競って開発する。道の駅での販売や、ふるさとゆうパックを超えて、量販によるコストダウンをはかる。デパートの物産展というのは、最も集客力のあるイベントなのだ。大きなヒントになるはず。
怨念の政治を超えるw
国際的には、キリストとイスラムだが、国内的には、鳩山家と吉田家か。戦費がかさみすぎる。