祖母の誕生日

祖母(父の母)の誕生日(戸籍上)。明治時代のことだから、数え年。実際に生まれたのは年末だが、すぐに2歳になってしまうことを嫌って、年が明けてから出生届を出す時代だった。とにかく根性悪な婆さんだった。TV番組の「意地悪ばあさん」は、陽気な意地悪だから許せるが、とにかく陰湿たっだのだ。「橋の下へ捨てに行く」「子捨て山へ捨てに行く」・・・子どもに対して、精神的虐待を繰り返す。親に守られているという安心感を経て、一人の人間として自立していく過程を、ことごとくぶち壊す。典型的な、境界性パーソナリティ障害の発生過程である。そうやって育てられた子どもは、大人になって、自分の子どもに同じことを繰り返す。養育による世代間伝達である。

私も、父親に「橋の下へ捨てに行く」「子捨て山へ捨てに行く」と、散々いじめを受けた。子供心に、この世から消えて欲しいと思う存在だった。祖父母と折り合いが悪く、ギャンブルに出歩いて、ほとんど家にいなかったから、影響が少なくて済んだ。ネット徘徊~アスペルガ(2009年3月11日)の日記で書いている「本家」の法則である。

 

いなくなって欲しいと思っている父親に自分を重ねることができない。だから性自認が狂う。常に母親側に付いているから、性指向が逆転する。母親と同じように、男の人が好きになる。しかし、父親は大嫌いだから、父親とイメージが重ならない人を選ぶ。これが、「好みのタイプ」の決定要素になる。

父も祖母も、生きていないのだから、嫌な思い出は捨て去ろう。最初からいなかったことにして、忘れてしまえばよい。今日は、小池徹平くんの誕生日。そして、「愛のキューピット」桂きん枝さんの誕生日。

Steve BuissinneによるPixabayからの画像

1つだけ、祖母の功績を称えよう。それは、弁護士法を使われた過去の失敗を私にだけ言い残してくれたことである。