終戦記念日
私は無宗教である。お盆だが、墓参りも、神社参拝も、まったく予定にない。あえて言うなら、原始仏教を参考にした。釈迦は、重い自己愛性パーソナリティ障害であった。そこからの脱出方法を説いたのが原始仏教である。悟りの境地、解脱に達すれば、宗教は必要がない。
菅総理と言えばお遍路さんだが、私は大乗仏教には興味がないので、お遍路さんはする気がない。
初めて明かす内容だが、実は、宗教的な修行は積んだ。
当家の墓は、自宅から車でも公共交通機関でも、片道1時間弱のところにある。この墓参りを、1年間、雨の日も雪の日も、1日も休むことなく続けた。冬至の頃ともなれば、仕事が終わって墓地に到着すると、すでに薄暗い。掃除して線香を上げると、ろうそくの明かりだけになる。夏なら、悲しげにヒグラシが鳴く。カラスが鳴く。野犬の遠吠えが聞こえる。
この修行で、得たものは多かった。墓石に刻まれた俗名から、その人たちの言動を思い起こすのである。母方の実家の墓も隣り合わせなので、都合がよかった。まさに、一族がパーソナリティ障害の百貨店であることに気付いた。そして、祖父母が私だけに言い残した言葉を思い出したのである。
億単位の財産を失った理由。弁護士法第一条である。
その時点で、自分が、まったく逆の立場にあることがわかっていた。同時進行で、パーソナリティ障害の研究とLGBTの原因解明への道が開けつつあった。残念だが、祖父母の伝言は、活かされることなく、先月で時効を迎えた。
もちろん、戦争の話も色々と聞かされている。なぜに戦争が起きるのかと考えれば、それは、思考の偏りに起因する。思想や宗教の自由は、憲法で保障されているが、戦争を引き起こすほどの思考の偏りは、病気である。一市民としてなら自由であっても、政治家としての資質となれば、精神疾患であっては困る。世界の平和のためにも、政治家に対して、精神疾患を治療せよ、と言える立場の人間が必要なのだろう。
過去にこだわり続けることは、進歩的な結論を得ることが出来ない。大切なのは、過去と同じ過ちを繰り返さない事であり、そのための創意工夫をしていくことである。過去にこだわり続けている人たちは、必ずや同じ過ちを繰り返すのである。