涅槃で待つ

私は無宗教である。原始仏教では、涅槃、すなわち悟りの境地に達すれば、宗教は役目を終えて、必要がない。

煩悩とは現代心理学に置き換えれば「依存」である。依存や怒り、嫌悪といった感情は、パーソナリティ障害の構成要素でもある。そこから脱することが、やすらぎ、涅槃である。

煩悩を消し去れという宗教が存在する以上、「追悼」は特定の宗教行為であり、無宗教の追悼施設などあり得ない。MECEの出来ていない証拠である。

ビジネスの世界でも、政治の世界でも、求められているのは、ソリューションのスキル、問題解決能力である。宗教を不要とする状態になっていなければ、問題を解決するための、正常な論理思考力は働かないと言って良い。

行き着くところは、ジョン・レノンのイマジンなのである。

私は無宗教ではあるが、神の存在は否定しない。2ちゃんねるに4バイトで存在する。誰も解けなかった問題を解いた人である。

過去に騙されてホリエモンを刺客に送り込まれた。学習能力がないと、懲りずにまた…(笑)


日没。きれいな夕焼けである。